数珠巡礼

メニュ

寂光院Jakkoin Temple

 


聖徳太子が推古2年に父、用明天皇の菩提を弔うために建立された古刹です。その後、建礼門院(けんれいもんいん)が隠妻されて平家一門の菩提をここで弔いました。
『平家物語』の大原御幸で名高い、天台宗の尼寺です。新緑と紅葉のころの石段参道も美しい大原の名産「しば漬」の発祥の地でもあります。

寺宝・名所

  • 本堂

    桃山時代頃の建築の特色を残していると言われていた本堂は、平成12(2000)年の火災で焼失した。小松前住職の「すべて元の通りに」の言葉通りに、焼け残った木組みや部材を入念に調査し、材木を吟味して、5年の歳月を経て平成17(2005)年6月2日に落慶した。ヒノキ材で屋根は木柿葺(こけらぶき)。正面3間奥行3間で正面左右2間、側面1間は跳ね上げ式の蔀戸で内側障子戸。

  • 汀の池

    池水に汀の桜散り敷きて  波の花こそ盛なりけれ          (『平家物語』大原御幸) 文治2(1186)年4月下旬、後白河法皇が忍びの御幸で建礼門院の閑居を訪ねたおりの一首。 本堂前には桜(汀の桜)と松(姫小松)があり、往時をしのぶことができる。姫小松は樹高15メートル余りで樹齢数百年になるものであったが、平成12(2000)年の火災で枯れてしまい、倒木の危険があるため伐採のやむなきに至った。現在はご神木としてお祀りしている。

  • 建礼門院徳子 御庵室跡

    壇ノ浦の合戦で平家が敗れたあと、建礼門院はひとり助けられ、都を遠く離れた洛北の地に閑居した。翌年、後白河法皇が訪れたときの庵室の様子は「軒には蔦槿(つたあさがお)這ひかかり、信夫まじりの忘草」「後ろは山、前は野辺」という有様で、「来る人まれなる所」であった。女院は平家一門の菩提を弔いながら終生を過ごした。 本堂の北奥に女院が隠棲していたと伝えられている庵跡がある。現在は石碑が立つのみだが、御庵室跡の右手奥に女院が使用したという井戸が残る。

  • 孤雲(茶室)

    京都御所で行われた昭和天皇の即位の御大典の際に用いられた部材を下賜され、それをもとに茶室を造り、昭和6年3月に千宗室宗匠をたのみ献茶式を催し、茶室開きを行った。 「孤雲」のいわれは、建礼門院のもとを訪れた後白河法皇が、粗末な御庵室の障子に諸経の要文とともに貼られた色紙のなかに、「笙歌遥かに聞こゆ孤雲の上 聖衆来迎す落日の前」という大江定基の歌とともに、「思ひきや深山の奥にすまひして 雲居の月をよそに見んとは」という女院の歌を御覧になって、一行涙にむせんだという『平家物語』の大原御幸のなかの一節にちなむ。

  • 本尊 六万体地蔵菩薩

    本堂には、国宝修理所の故小野寺久幸仏師によって、形・大きさともに元通りに復元された新たな地蔵菩薩立像が安置され、落慶式と同時に、魂入れの儀式として入仏式が厳修された。鎌倉時代の制作当時そのままの美しい彩色である。

  • 旧本尊

    旧本尊の木造地蔵菩薩立像は像高256.4センチで、像内に納入されていた願文に寛喜元年(1229年)の記がある。旧本尊の周囲の棚には地蔵菩薩の小像が多数あり、胎内にも多数の地蔵菩薩の小像が納入されていた。周囲の棚に3万体、胎内に3万体の地蔵像があるということから、旧本尊は「六万体地蔵菩薩」と称されていた。 2000年(平成12年)に起きた本堂の火災の際、本体は焼損したが、像内納入品は無事で、焼損後も「木造地蔵菩薩立像(焼損)」の名称で、像内納入品ともども重要文化財に継続して指定されている。現在は本堂よりも高台にある収蔵庫に安置され、特定日のみ一般に公開される。重要文化財。

沿革

 

寂光院は天台宗の尼寺で、山号を玉泉寺といい、推古2(594)年に聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建立されたと伝えられる。当初の本尊は、聖徳太子御作と伝えられる六万体地蔵尊であったが現存しない。
鎌倉時代に制作された旧本尊(重要文化財)は、平成12(2000)年5月9日未明に発生した火災により焼損したため、文化庁の指導を受けて財団法人美術院によって修復されて、境内奥の収蔵庫に安置されることとなり、現在は美術院によって模刻された地蔵菩薩像が本堂に安置されている。
初代住持は聖徳太子の御乳人であった玉照(たまてるひめ)[敏達13(548)年に出家した日本仏教最初の三比丘尼の御一人で慧善比丘尼という]で、その後、代々高貴な家門の姫君らが住持となり法燈を守り続けてきたと伝えられるが、史料がなく詳細が分からないため、阿波内侍(あわのないし、藤原信西の息女)を第2代と位置づけている。崇徳天皇の寵愛をうけた女官であったが、出家のあと永万元年(1165)に入寺し、証道比丘尼と称した。出家以前は宮中にあった建礼門院に仕え、この草生の里では柴売りで有名な「大原女」のモデルとされている。
第3代の建礼門院(平清盛息女、高倉天皇中宮、安徳天皇母)は、文治元年(1185)年9月に入寺し真如覚比丘尼と称した。源平の合戦に敗れた後、寂光院に侍女たちとともに閑居し壇ノ浦で滅亡した平家一門と、我が子安徳天皇の菩提を弔いながら、終生を過ごした。
平成12(2000)年の火災で焼失する前の本堂の内陣および柱は、飛鳥・藤原様式および平家物語当時の様式を改修の度ごとに残しながら後世に伝えられたもので、外陣は慶長8年(1603)に豊臣秀頼が片桐且元を工事奉行として修理させた桃山様式のものであった。また、その後江戸時代初頭には、豊臣秀頼や淀君、徳川家康らが再興に手を尽くした。現在の本堂は古式通りに忠実に復元したものである。
本堂前西側の風情ある庭園は『平家物語』にも描かれるもので、心字池を中心に千年の姫小松や汀の桜、苔むした石のたたずまいが好ましい風情をかもしだしている。
姫小松は、『平家物語』灌頂巻の大原御幸に「池のうきくさ 浪にただよい 錦をさらすかとあやまたる  中嶋の松にかかれる藤なみの うら紫にさける色」と伝わる松である。
文治2年(1186)の春、建礼門院が翠黛山(本堂正面に対座する山)の花摘みから帰って来て、後白河法皇と対面するところにも登場する。

拝観のご案内

現在の情報

公開期間
無休
拝観休止日
なし
拝観時間
通常 9:00~17:00(3月1日~11月30日) 冬季 ・12月1日~12月31日:9:00~16:30  ・1月1日~1月3日:10:00~16:00  ・1月4日~2月28日(29日):9:00~16:30    
拝観料
拝観志納金 高校生以上:600円 中学生:350円 小学生:100円
ご連絡先
電話番号 / FAX
TEL 075-744-3341
URL
http://www.jakkoin.jp/

交通案内

名称
寂光院
所在地
〒601-1248 京都市左京区大原草生町676
交通アクセス
京都駅をご利用の方

京都駅前から
京都バス17系統(18系統) 〔C3のりばから〕乗車。
京都バス「大原」下車 徒歩15分

京阪電車をご利用の方

京阪電車「出町柳駅」前から
京都バス10系統・16系統・17系統に乗車。
京都バス「大原」下車 徒歩15分

京都市営地下鉄をご利用の方

市営地下鉄「国際会館駅」から
京都バス19系統に乗車。
京都バス「大原」下車 徒歩15分

同エリアの社寺

巡礼社寺一覧を見る