穴太寺Anou-ji Temple
寺宝・名所
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本堂
江戸時代、享保20年(1735年)に再建された。向拝下に土間、吹き放しの外陣。内部に中央3間分の格天井に花鳥図、内陣に須弥壇を設ける。桁行5間、梁行5間、入母屋造、本瓦葺。3間向拝付。京都府指定文化財。 本堂内陣の須弥壇には3基の厨子があり、本尊の「薬師如来」、左に札所本尊の「聖観世音菩薩立像」、右に前立札所本尊の「聖観世音菩薩立像」が安置されています。本堂厨子内の木造「聖観音立像」は、33年に一度開帳される秘仏です。
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仁王門
八脚門の入母屋造で本瓦葺の仁王門は、江戸時代中期(17世紀中期)に再建されたもので、楼門古材を再利用したといわれています。江戸時代の狩野永納『穴太寺観音縁起絵巻』(1676)に楼門は描かれています。京都府登録文化財。
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多宝塔
江戸時代の1804年に再建されました。3間の多宝塔で高さは13m。柱は円柱で切石積の基壇に建っています。軒は下重に二軒繁垂木、上重に二軒扇垂木、四方に青竜、白虎、朱雀、玄武の彫刻を施す。内部に四天王柱、来迎壁、須弥壇を置き、釈迦如来、多宝如来が安置されています。京都府指定文化財。
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庭園
江戸時代中期作庭の池泉鑑賞式庭園で、多宝塔を借景にしています。石組、池、植栽で構成され、また方丈の西側には露地庭園があり、こちらは西の高熊山を借景としています。四季折々の表情を楽しめる江戸期の名庭です。京都府指定名勝。
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釈迦如来涅槃像
ヒノキの寄木造、160㎝。 鎌倉時代作(室町時代とも)といわれます。右肩を下にして横たわる。涅槃姿の等身大彫像の例は極めて珍しい。この像は「撫で仏」ともいわれ、患部に当たるところを触ると病が治るとい伝えられてきました。1896年に本堂天井裏より発見されたもので、当時、住職と孫娘(娘とも)の病気平癒のために日参していた大阪の女性信者の夢に像が現れ、その夢告により探し当てたものといわれます。仏像を堂内に安置し、像を撫でると孫娘の病は治ったことから、以後、諸病悉除の仏として信仰を集めています。亀岡指定文化財。
沿革
宝徳2年(1450年)成立の『穴太寺観音縁起』によれば、慶雲2年(705年)、文武天皇の勅願により大伴古麻呂が開創したとされています。
穴太寺の聖観音像は「身代わり観音」の伝説で知られ、この伝説が『今昔物語集』に取り上げられていることから、平安時代末期には観音霊場として知られていたことがわかります。『今昔物語集』所収の説話によると、昔、丹波国桑田郡の郡司をしていた男が、都の仏師に依頼して聖観音像を造り、仏師に褒美として自分の大切にしていた名馬を与えました。しかし、与えた名馬が惜しくなった男は、家来に命じて仏師を弓矢で射て殺してしまいます。ところが、後で確認すると仏師は健在で、聖観音像の胸に矢が刺さっていたのです。改心した男は仏道を信じるようになったと伝えられています。同様の説話は『扶桑略記』にもありますが、ここでは男の名が「宇治宮成」、仏師の名が「感世」とされています。
応仁の乱の戦火によって伽藍が被害を受け、天正年間(1573年 – 1593年)には、明智光秀の丹波攻めに巻き込まれて焼失。17世紀中頃に行廣上人が再興しますが、享保13年(1728年)に本堂が焼失してしまい、その後享保20年(1735年)に再建されました。明治29年(1896年)には、本堂の天井裏から釈迦涅槃像(撫で仏)が発見されました。
拝観のご案内
現在の情報
- 公開期間
- 無休
- 拝観休止日
- なし
- 拝観時間
- 8:00〜17:00
- 拝観料
- 拝観料 本堂、庭園 個人 500円 団体 400円
- ご連絡先
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- 電話番号 / FAX
- TEL 0771-24-0809 / FAX 0771-23-6621
行事案内
現在の情報
行事案内
1月3日 | 福給会(ふくたばえ、ふくたまえ)が催される。300年以上続く伝統行事で、牛玉宝印の札3,000枚を本堂からまく。3枚だけ赤い札が入っており、それを拾った人は1年間幸せに過ごせるという。 |
2月3日 | 節分会・星祭 |
8月9日 | 精霊会 |
8月23日 | 孟蘭盆大施餓鬼会 |
12月31日 | 除夜の鐘 |
交通案内
- 名称
- 菩提山 穴太寺
- 所在地
- 〒621-0029 京都府亀岡市曽我部町穴太東ノ辻46
- 交通アクセス
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- 公共交通機関をご利用の方
JR嵯峨野線(山陰本線)亀岡駅から、
京阪京都交通バス60系統
京都先端科学大学行で穴太口下車徒歩10分
※昼間は20分毎の運行。
※57系統京都先端科学大学行は穴太口を通過する。京阪京都交通バス59系統穴太寺循環で穴太寺前下車徒歩1分※昼間は1時間毎の運行。
- 駐車場
- 有(私営駐車場)