法観寺(八坂の塔)Hokan-ji Temple
寺宝・名所
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五重塔 重要文化財
永享12年(1440年)の再建。高さ46mで東寺、興福寺の五重塔に次ぐ高さをもつ純和様、本瓦葺の建築である。中心の礎石は創建当初のものが残っておりそのまま使われている。初層内部には大日如来を中心とする五智如来像を安置する。縁、高欄が五重目にしか付いていない珍しい建築様式である。
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五重塔内 五智如来
五重塔の一層には五智如来(ごちにょらい)が安置されています。 心柱の「大日如来」を中心とし、四方に東方「阿閦如来」、南方「宝生如来」、西方「阿弥陀如来」、北方「不空成就如来」が配置されています。
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薬師堂
堂内には本尊の「薬師如来」や「日光菩薩」「月光菩薩」「夢見地蔵」「十二神将像」が安置されています。 夢見地蔵は洛陽四十八願所地蔵めぐりの第39番札所になっています。
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太子堂
五重塔の北側にある太子堂。 堂内には3歳と16歳の像が安置されています。
沿革
寺伝によると、聖徳太子が夢の中で如意輪観音からお告げを賜り、崇峻天皇2年(589)心柱の礎石に仏舎利(釈迦の遺骨)三粒を納めた五重塔を建造したのが始まりとされています。
聖徳太子開基説は『山城州東山法観禅寺仏舎利塔記』(暦応元年(1338年))にみられ、近世の地誌類はこれを踏襲している。創建時の伽藍は四天王寺式伽藍配置または法隆寺式伽藍配置だったと考えられている。聖徳太子創建の伝承は信憑性に疑いがあるものの、平安京遷都以前から存在した古い寺院であることは確かとされており、朝鮮半島系の渡来氏族・八坂氏の氏寺として創建されたという見方が有力である。境内から出土する瓦の様式から、創建は7世紀にさかのぼるとみられる。現存する五重塔は15世紀の再建であるが、創建時の塔跡に建てられており、古代寺院に特有の地下式の心礎(心柱の礎石)が残っている。寺号は当初は八坂寺と称され、八坂寺の文献上の初見は『続日本後紀』承和4年(837年)条である。
『延喜式』には、大膳職から盂蘭盆供養料を給される七寺の一として八坂寺の名がある。五重塔は平安時代末期の治承3年(1179年)に清水寺と祇園社(八坂神社)との争いに巻き込まれて焼失したが、建久2年(1191年)に源頼朝の援助により再建された。その後正応4年(1291年)に落雷で焼失し、延慶2年(1309年)に後宇多天皇の援助で再建。現在の塔は永享8年(1436年)の焼失後、同12年(1440年)に将軍足利義教の援助により再建されたものである。
その間、仁治元年(1240年)に建仁寺8世の済翁証救が入寺して中興し、臨済宗建仁寺派に属する禅寺となる。さらに暦応元年(1338年)より、夢窓疎石の勧めによって足利尊氏が全国に安国寺、利生塔を建てたが、都の利生塔としてはこの塔を充て仏舎利を奉納した。
戦国時代には、地方から上洛した大名が当寺に定紋入りの旗を掲げることによって、誰が新しい支配者・天下人になったかを世人に知らせたという。また、大島光義が豊臣秀次の命でこの塔の窓に矢を十本射込んで見せたという。
拝観のご案内
現在の情報
- 公開期間
- 拝観日は不定期。 ※要電話確認
- 拝観時間
- 10:00~16:00
- 拝観料
- 中学生以上 400
- ご連絡先
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- 電話番号 / FAX
- TEL.075-551-2417
交通案内
- 名称
- 法観寺 (霊応山 法観禅寺)
- 所在地
- 京都市東山区清水八坂上町388
- 交通アクセス
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- バスをご利用の方
京都市営バス”清水道”より徒歩約5分
- 電車をご利用の方
京阪本線”祇園四条駅“より徒歩約13分
- 駐車場
- なし
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