御寺泉涌寺 別院 雲龍院Unryuin Temple
寺宝・名所
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本堂龍華殿
昭和41年に重要文化財に指定された本堂の龍華殿は、さわら材の竹の釘で打った雄大なこけら葺きで 今ではたいへん貴重なものとなっています。雲龍院は、南北朝時代の後光厳天皇と三代のわたる菩提寺院で、特に後円融天皇が写経の功徳をご信奉になり、如法写経を発願され、それ以降 如法写経の勤修は雲龍院に受け継がれております。
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本尊 薬師如来
「お薬師さん」の愛称で知られる薬師如来は琉璃光王や大医王尊などと呼ばれることがあり、お医者様の役目を果たす現世利益の仏として親しまれてきました。当院は、西国薬師霊場第四十番札所で、藤原時代作の本尊薬師如来坐像を中心に日光・月光両菩薩を両脇に安置 祀られています。
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悟りの窓
書院 悟りの間にある窓、「悟りの窓」は訪れるたびに、その風景を変化させます。
沿革
- 御寺泉涌寺の別院。山号は瑠璃山。雲龍院は応安五年(1372)後光厳天皇の御建立にして、後、同所に後円融天皇、康応元年(1389)龍華殿を御建立せられ、御宸翰を下して如法写経を始められる。両帝は屡々行幸になり開山竹厳聖皐上人に聞法受戒せらる。晏駕に先立ちて剃髪染衣せられ、上人の引導を受けて背後の山に埋葬し奉ったのである。開山上人は応永九年(1402)に入寂され、応永十二年の盂蘭盆会の夜には早くも諸堂を焼失したが、二十年後には後小松天皇の行幸により、応永三十六年の頃には全安上人再建を見事に遂げている。 次いで称光天皇の崩御、後に御父後小松天皇の崩御、共に当院の聖汎上人、全安上人の奉仕によりて先代と同所に埋葬申し上げている。間もなく応仁の兵乱となり、文明二年(1470)には全山焦土と化し、僅かに後光厳、後円融天皇の御尊像を残すのみとなった。併し文明十四年、後花園天皇の十三回の御国忌を雲龍院に於いて奉修し得たことは復興の事を偲ばせる。明応八年(1499)後円融天皇の御影を土佐光信に画がかして勅賛を御土御門天皇にお願い申し上げ、之が今日 重要文化財として保存されている。翌年、後土御門天皇崩御遊ばされ、泉涌寺に御葬送申し上げる、その御使用の御黒戸御殿は文亀二年、後柏原天皇より下賜され如法修殿と称し写経の道場とせられたのである。戦国時代より桃山時代を経て、徳川の始め中興の祖、如周宗師が雲龍、龍華両院を合併して雲龍院のみとす、この事が後水尾天皇の叡聞に達し造営費御下賜の恩命に浴し写経の道場を現在の位置に再建せられる。たまたま寛永十九年が本願、後円融天皇二百五十回の御忌に相当するを以て御水尾天皇より写経会に要する仏具百余点の御寄付を賜りて立派に再興を遂げた。如周和尚以後、徳川泰平の御代本願天皇の後国忌の折々に御下賜金を賜りて諸堂の修理を行い、この間鎮守堂、鐘楼等の建立がなされ東西に僧坊を設けて諸方より各宗の門徒集まり、研鑽を励み多くの俊英を輩出した。皇室との御縁故は天保十四年以降光格天皇の皇妃を始め、仁孝天皇両皇女、孝明天皇の両皇女を後山に葬り奉ってより再び深くなり玄関、方丈、勅使門を賜り次いで歴代の御尊牌を奉安する霊明殿は慶応二年に始まり、孝明天皇、明治天皇、英照皇太后の思し召しにより明治二年現存の様に再建された。
拝観のご案内
現在の情報
- 拝観休止日
- あり。注意事項欄を参照
- 拝観時間
- 9:00~17:00 (16:30受付止め)
- 拝観料
- 拝観料 400円 抹茶付き拝観 900円 写経(抹茶付) 1500円
- ご連絡先
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- 電話番号 / FAX
- TEL 075-541-3916 FAX 075-533-7150
- URL
- https://www.unryuin.jp/
行事案内
現在の情報
1、御寺泉涌寺 別院 雲龍院 年間行事予定
月 | 日 | 行事内容 |
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3月 | 20日~21日 | 春の彼岸法要 |
4月 | 27日 | 如法写経会 |
5月 | 未定 | 篠笛奉納演奏発表会 |
6月 | 27日 | 開山忌法要 |
9月 | 20日 | 秋の彼岸法要 |
9月 | 20日 | 観月茶会 |
11月 | 19日~23日 | 秋のライトアップ |
12月 | 19日 | ひと文字写経 |
12月 | 31日 | 除夜の鐘 |
交通案内
- 名称
- 御寺泉涌寺 別院 雲龍院
- 所在地
- 〒605-0977 京都市東山区泉涌寺山内町36
- 交通アクセス
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市バス(202・207・208番「泉涌寺道」下車)より15分
JR奈良線東福寺駅・京阪東福寺駅より徒歩20分
- 駐車場
- 泉涌寺駐車場をご利用ください(無料) ※台数に限りがございます。 ※できるだけ公共交通機関でのご参拝をお願いいたします。 ※足の不自由な方がいらっしゃる場合は別途ご相談ください。