数珠巡礼

メニュ

六波羅蜜寺Rokuharamitsu-ji Temple

 

空也上人が建立した真言宗智山派の寺院。空也上人は醍醐天皇の皇子で、創建は天暦5年(951)に都に流行していた悪疫退散のため、自ら十一面観音像を刻んで市中を曳き廻り、病人に茶を授け歓喜踊躍して病魔を鎮めたという。その茶は皇服茶、踊躍は六斎念仏として今に伝えられています。西国三十三所霊場の第十七番札所でもあります。宝物館には地蔵菩薩像をはじめ、空也上人像、平清盛像、運慶像、湛慶像など鎌倉時代を代表する木造彫刻の仏像を安置しています。

当寺院のさげわたし数珠玉

寺宝・名所

  • 空也上人立像

    鎌倉時代(重要文化財) 運慶の四男康勝の作。胸に金鼓を、右手に撞木を、左手に鹿の杖をつき、膝を露に草鞋をはき、念仏を唱える口から六体の阿弥陀が現れたという伝承のままに洗練された写実彫刻である。

  • 平清盛坐像

    鎌倉時代(重要文化財) 経巻を手にしたその風姿は平家物語に描かれている清盛の傲慢さは全くなく、仏者としての気品を覚える。一門の武運長久を祈願し、朱の中へ血を点じて写経した頃の太政大臣浄海入道清盛公の像である。

  • 地蔵菩薩立像

    平安時代 (重要文化財) 巨匠定朝の作。元六波羅地蔵堂の本尊で、面相も優しく彩色に切金を混用し、左手に頭髪を持った珍しい仏像で”鬘掛地蔵”といわれている。

沿革

 

六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第17番の札所である。

当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曵き回り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮められたという。(現在も皇服茶として伝わり、正月三日間授与している)

現存する空也上人の祈願文によると、応和3年8月(963)諸方の名僧600名を請じ、金字大般若経を浄写、転読し、夜には五大文字を灯じ大萬灯会を行って諸堂の落慶供養を盛大に営んだ。これが当寺の起こりである。

上人没後、高弟の中信上人によりその規模増大し、荘厳華麗な天台別院として栄えた。平安後期、平忠盛が当寺内の塔頭に軍勢を止めてより、清盛・重盛に至り、広大な境域内には権勢を誇る平家一門の邸館が栄え、その数5200余りに及んだ。寿永2年(1183)平家没落の時兵火を受け、諸堂は類焼し、独り本堂のみ焼失を免れた。

源平両氏の興亡、北条・足利と続く時代の兵火の中心ともなった当寺はその変遷も甚だしいが、源頼朝、足利義詮による再興修復をはじめ火災に遭うたびに修復され、豊臣秀吉もまた大仏建立の際、本堂を補修し現在の向拝を附設、寺領70石を安堵した。徳川代々将軍も朱印を加えられた。

現本堂は貞治2年(1363)の修営であり、明治以降荒廃していたが、昭和44年(1969)開創1,000年を記念して解体修理が行われ、丹の色も鮮やかに絢爛と当時の姿をしのばせている。

なお、解体修理の際、創建当時のものと思われる梵字、三鈷、独鈷模様の瓦をはじめ、今昔物語、山槐記等に記載されている泥塔8,000基が出土した。重要文化財の質、量において文字どおり藤原、鎌倉期の宝庫と謂われる所以である。

拝観のご案内

現在の情報

公開期間
無休
拝観休止日
なし
拝観時間
8:00~17:00、宝物館8:30~16:30 ※行事によって変更あり。
拝観料
境内 無料 宝物館拝観料 大人600円 大・高・中学生500円 小学生400円
ご連絡先
電話番号 / FAX
TEL 075-561-6980
URL
http://www.rokuhara.or.jp/

行事案内

現在の情報

年中行事予定

1月初詣
皇服茶授与
開運厄除祈願
福徳自在初稲穂授与
1月17日初観音
2月節分会開運厄除祈願
節分会追儺式
星まつり
3月彼岸会・法話会・写経会
8月8・9・10日萬燈会厳修
9月彼岸会・法話会・写経会
9月11日開山忌
11月弁財天巳成金特別祈願会
12月13日 〜 除夜空也踊躍念仏厳修 (重要無形民俗文化財)
毎月1日・16日お聖天さまの御縁日
毎月7日都七福神の一 巳成金弁財天御縁日
毎月17日お観音さま御縁日 災難除・病魔除御可持

交通案内

名称
補陀洛山 六波羅蜜寺
所在地
〒605-0813 京都市東山区五条通大和大路上ル東入ル2丁目
交通アクセス
公共交通機関をご利用の方

市バス「清水道」下車、徒歩7分
京阪電車「五条駅」下車、徒歩7分
阪急電車「河原町駅」下車、徒歩15分

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